ブロガー界隈ディスにみる、はてなは群衆の英知か狂気か
今日もふらふらとネットの海を漂っていたら目にとまった記事が3つ。
【エッセイ連載】『国境線上の蟹 12/安東嵩史』公開しました。https://t.co/MA9styZURi
— トーチweb (@_to_ti) 2018年8月16日
"自分や自分のよしと信じているものを存在せしめた過去の些細な全てへの敬意と、その結果として存在する今の全てへの公平な祝福をもって、できるだけ遠くへ旅をしよう"
お盆にピッタリなエッセイが届きました。
まず初めの記事に関して、書いてある内容も、書くに至ったであろう動機も、とてもよくわかります。昔の自分にそっくりで…。
自分もなんとなく、高いタダの論理を大手をふって売り歩いているようなブロガー界隈の人たちはあまり好きじゃありません。
自己啓発本に書いてあるようなことしか言わないくせに、おれたち面白いだろドヤァってしてるのがしんどい。
ただ、その手の批判の何割かがそうであるように、完全にブーメランですよね。
当たり前なんだけど、特にこの記事を書いた増田さんに深く刺さっている。
無内容な癖に堂々と個性アピールして仲間内で共通の敵を叩く
もうこれはブロガー界隈もはてなもあまり変わらないと思います。
ちょっと主語が大きすぎましたね、特にこの増田さんに関してです。
noteまで見に行って、どんな人なんやろとちらほら他の記事も読ませていただきました。
まだこれといって情熱を傾けられるものがあるわけでもなく、突出した実力があるわけでもなさそうです。
簡単に言うと、自分が何がやりたいのかよくわからなそう。
そりゃあそうですよね、勉強ばかりしてきて急に大学生になったばかり。
そんな自分に焦り、苛立ちを感じていて、あのような記事を書くに至ったのだと思います。
この記事も自分に向けて若干ブーメランなんですが
自分の場合は多分、多少、増田さんよりは長く生きてるので
少し先を歩いているような気はします。
2つ目の群衆の英知もしくは狂気っていうゲーム
とっても面白かったです。ざっくり
・孤独=影響されがち
・クラスタ=ぬるま湯に浸かりがち
ということを体感して理解できます。
はてなの人もブロガーの人もリアルからふわふわっとネットの世界に流れ着いて
たまたまどちらかの世界で暮らすことになったのでしょう。
どちらもなんとなく似てる気はしてます。
一度その界隈に身を置くと、その他の価値観は受け入れなくなってしまうみたいです。
タイトルに置いた割に、今回のブロガー界隈ディスがはてなの英知なのか狂気なのかはわかりませんし、どっちでもいいのですが
増田さんに出会えて良かったですし、熱量を感じることができましたし、とにかく居場所があること、意見してくれる人がいること、共感してくれる人がいることは、嬉しいことですよね。
と、こんな毒にも薬にもならないことしか言えないのですが、はてなブログ書いてる自分はどっちかというとはてな寄り。
3つ目のエッセイで結びにしようかと思います。
自分の祖父母の代から偶然の出会いと別れが続いてて奇跡の上に自分が立ってるよ
みたいな内容だったのですが、最後に
自分や自分のよしと信じているものを存在せしめた過去の些細な全てへの敬意と、その結果として存在する今の全てへの公平な祝福をもって、できるだけ遠くへ旅をしよう
と書いてあって、これがすごく言いたかった。
エッセイ全体の雰囲気は、昨日読んだ盆の国みたいに白黒ではかない感じでした。
私の家族にも似たような共通点があり、上の世代の人たちって自分の想像の枠をはるかに超えて大変だったんだろうなって思い直しました。
思うことで供養になっているといいですね。
3つの記事どれもそこまで関連してないんですけど、エッセイと、特にこの引用の文章は1つ目の記事に向けたいなと思って今日のブログを書き始めました。
自分にも言い聞かせています。(2回目
明日は就職活動をしに行きます。